言葉の定義からしてわからん!というのがチラシとかホームページ見てる人の意見じゃないかと思います。なので、kawaiラボは大学受験ではこれをやるのが教務力、と定義して、勝手に押しつけていきましょう(笑)
端的には「生徒ひとりひとりをトータルプロデュースするのに必要な力」を教務力と考えます。それには何が必要か、解体していけば教務力が定義できるでしょう。
まずそもそもの科目の力。
科目の入試問題が旧帝大でも解けるなんていうのは当たり前(もちろん、たまには苦労するけど)だし、その問題を解説できるのも当たり前。これができたら授業できてるという程度なら相手じゃない。入試問題に至る前に、学校でやるような基礎理論の構築から授業できるほどの理解か?そして、それを目の前の生徒に合わせて話し、その子のハードルを越えられるようにできるのか?これができたらやっと、「教えるだけはできる」という程度です。専門科目がこの程度じゃkawaiラボじゃ戦力外。
少なくともkawaiラボから多く受ける学校の大学入試問題については形式などを把握し、生徒の解答能力や思考タイプから合格最低点をクリアできると期待できるかどうかを判別できるか?これは偏差値ランキングと模試を見合わせるんじゃない。生身の感覚で捉えられるかどうかである。偏差値が見合っていても絶対無理、となることもあるし、偏差値ほど合わせられないこともないこともある。そこまでできて初めて1科目を見れるというのがkawaiラボで科目を担当するということである。
そして、河井筆頭にこれが複数科目でできるのが専任であるということだ。理系なら数学と理科2つと英語は、文系なら英語国語と社会1科目は基本条件ですね。専門性の高まりによってこの辺の基準は変わることはあるでしょうが、街の塾をやるということはこれくらいの力はないと難しい。単科の専門性のマンパワーで押し切ることができないから尚更。
科目ができるだけでは地域の塾としてはダメで、学部、学科で何が学べるか、どういう就職があり得るのか、大学のその後まで見据えて進路探しから伴走できるかどうか。必要ならば大学の専門の違いを検討できるか?その手間を惜しまずかけられるか。ひとりひとりの人生を考えられなきゃ、塾のために受験させることになってしまうからこれはある意味で授業どうこうより重い命題ですよ。
更に受験日程を作れること。そんなの自分でやらせろよ、という意見があるのは承知の上ですけど、受験生が入試の偏差値と科目の一覧をめくって時間を浪費するのを本当にいいと思ってるの?絶対的なものでもない目安にしかならない偏差値でこれならいけるとか考えるのが社会勉強?僕はこの文化を学校なり予備校が労力を生徒に押しつけてるだけと断じているから、軸となる上位希望を基に滑り止めを日程とともに提案するのはラボの義務と考えている。はっきり言って、そんな紙の上のことだけで時間を浪費させるくらいなら、壁を越える力をつけることに時間を使わせようよ。
もちろん、これらを支えるためにはコミュニケーション能力も必要だし、それを支える観察力、僕は視えるとか言ってるけど、が必要。ライトなところから深層心理まで視えるとか。「私、そんなこと思ってる素振りありましたか?」って言われるくらいの眼力はある方がいい。でもコミュニケーション能力って大きな声で言っちゃうと上述のことができないパリピ的なタイプが大きな顔をしちゃう世の中だから、持ってる力を活かすための付加能力と思っているくらいがちょうどいい(笑)
寝ている間の「爆裂個人塾長会議」で話してたことのログを見ながら思ったことを連ねてみましたが、これがkawaiラボが教務力と信ずるところです。
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