僕たちなどは地域の塾として,色々な子たちと関わっているわけです。
そうすると,自由自在な解法で奔放に考えさせる,そういう学問的には正しい姿勢では成績が上がらないこと,むしろ苦戦することがあります。
一部には,そういう子たちには道を変えるべきという意見もあるようですが,僕はそれはしたくない。希望をなるべく叶えられるようにしていきたい。
じゃあどうするのか?
僕はわざと1通り(ただし,汎用性だけは高い)解法を徹底させてしまいます。
これは学問的な本道ではないという批判もあると思います。
でもね,現実的にその子の道を切り開くには,自由に溺れ死んでしまいそうな子に,正しいからだけで自由の海を泳ぐことを強要していいのか?
僕は受験という壁を越える,という一点においては時に不自由さで道を整える手はずをつけるのも決して悪くないと思いますよ。
自由にやることで不自由になる,不自由にすることで動き出せる。
そんなことがあるんだってこと,もう少し知ってもらえて,少しでも前に進める人が増えればいいなと思います。
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