というバカチンは僕のことでして(笑)

さっき電車から「爆裂個人塾長座談会閲覧所」でしゃべってしみじみと思い出したあのこと。もうあれから6年くらい経つんですね。

僕は最初のベンチャーを2年で辞めて、当時研究部署を作るべく共同研究を立てようとしていた大学の研究室のポスドクになった。

予算も何もないところに(だから産学連携の研究費熱を上げていたのだけど)ポスドクすることにしちゃったからこれはまずい!となって29歳にしてバイト探し。

その境遇で「何できる?」となって塾で働き始めた。そのチョイスも大阪の南は人が少ないから戦力として大事にされそうだけ。で、最初に電話くれたところに即決。

うん、考えなさすぎ。

その生活を3年やってると、学者以上に教えることの方が適性あるのもわかってきたし、教育の方がずっと楽しかった。その教室はガンガン高校生が増えて、ついてくる子もいて。

で運命の3年目。

3年で常勤ポストにつけなかったら、自分は向いてないと諦めようと思ってた。そこにその大学の常勤の特任講師の話があった。でもやっぱりこの子たちを放って辞められない、そう思って蹴った。(もちろん、実家の家計とか体調という理由がなかったわけではないのだけど)

この話すると10人が10人、アホやなんやと言ってくれます(笑)でも、今の楽しさを考えても間違ってない、正解!と思ってるけど。

ちょっとしたkawaiラボの、それより前の物語でした。