Archives: 2021年6月27日

「丁寧に説明する」「塾でやって帰る」がラボスタイル

こんにちは、大学受験kawaiラボの河井です。いくつかの話題で見かけること(リソースは聞かない!笑)から触発されて今日は記事を書いているのですが、それとセットで大学受験kawaiラボのスタイルについても改めてお話しできればと思っています。

○ 「丁寧に説明するのはよくない?」について

独学大全という本が流行るよりしばらく前から自学とかいう言葉が塾の先生たちの間で頻繁に見かけられるようになりました。その流れの中で時々、「丁寧に説明したら伸びない」とか「説明しないで考えさせるのが良い」という主張がチラチラと見えるようになりました。果たして本当にそうなのだろうか?

僕は通っていた中学校の状況や希望の進路とかあってかなり初期から塾なしで先取りの自学(課題は学校の先生にもらいに行ったり買ったりしてたのですが)をしており、その延長線上で塾なし(講習とかは参加してみたけど)で大学受験を経て現在に至ります(詳細割愛)。そういったことで自学で進めているとまぁ時間のかかること。おそらく器用な方なので新しいことを受け入れて自分の道具に変えるところは速い方だとは思いますが、入り組んだ問題などやっていると、特に世間で言う定石をそれほど知っているわけではないので、試行錯誤に極度に時間がかかった(その尊い犠牲が世界史とか英語とか…苦笑)ことを覚えています。

確かに、これが本来の学びであり、それくらい手間暇をかけて…、と言われればぐうの音も出ないわけですが、いろいろなものを切り詰めてようやっとこれだけ…では高校生としての生活が果たして成り立つのか?そこを少し緩和できるように、必要な説明を提供することは決して悪いことではないはずです。ところが、昨今では丁寧な説明=悪と言わんばかりの論調もそれなりに見受けられる。それはなぜか?

丁寧な説明によって納得してもらうと、それで終わってしまうことが多い。これが1番の理由です。だから丁寧な説明を悪者にする必要がない。当該の問題で説明をトレースするだけでなく、ちゃんと類題などでその考え方の実践を別にやればいいのだから。そしてワークとかそういったものは類題が連なっていることは多いので、そこまでの心配はいらない。そして、このままだと類題不足だな、と思うならそこでもう1問出すのが講師の腕の見せ所なんじゃないかな。そのあたりのことが足りていないから丁寧な説明をしない、教えないがいいんだ、に走ってしまうのだと個人的には感じている。

○ 「塾で勉強をするのは違う?」について

ちょっと前の話が長くなってしまった…。もう1つの話題、「家で誘惑するものがあるから塾で勉強するというのはおかしい」「真剣だったら誘惑とか関係ない」「自宅学習が本道だ」と言われる件。まぁ確かにこれは正論と言えば正論なんです。ただ、僕はこう言う正論を振り回す人は強過ぎる人と感じます。つまり、誘惑に対して自らを律することができ、そして、その律するということを他者にも求めすぎているのではないだろうか?と考えているわけです。

僕自身は家にいれば際限なく眠ります。睡眠と食事と教室であれこれで生活の99%ぐらい埋まってるんじゃないですかね。そういう人間なので物事をするとなると基本的に家を出てやる、というのが自分のこれまでもこれからも変わらない部分なんだと思います。

この話になると、僕はノマドワーカーってなんで存在するのか?ということを考えます。このご時世、Wi-Fiがあれば仕事ができるならカフェなどで仕事をしなくても巣ごもりで仕事をすればいいわけです。でも人はカフェで本を読んだり仕事をしたりする。大人だから、というのはアンフェアな返し方なのでやめましょう、ちゃんと理由を考えてみましょう、そうすると家だとくつろぐとか他のことをしちゃうとか、そういう理由が湧き上がってきます。(もちろん、カッコいいとかもあるでしょうけど)

と考えていくと、「人は場所で自らの振る舞いを規定する」という面があると思うのです。つまり、家は寛ぐ場所、外は頑張る場所、というふうに自分の中のスイッチが切り替わるのではないか?では自分のスイッチがオフにならないところで必要なことをやればいい、それには子ども・学生も大人も変わらないだろう、そういう考えに至っているわけです。そこで勉強する場所として塾を自らの中に規定してもらい、進めていきながら必要な助言であったり、解説であったり、課題であったりを提供する、いわゆるラボスタイルというのを確立していこうというのが今の原型になっているわけです。

○ 最後に(まとめ)

私たちはしっかりと自分の手で学習を進める、その中で必要なことは丁寧に説明し、演習を積んでもらって自分のものにしてもらいたい、そして、帰ったら今日の勉強は全部やってきたぞと言える、そういう環境の提供で成績への反映はもちろん、希望の進路の獲得だとか、一方でご家庭の負担軽減(これについては次ぐらいに)も実現できるような、そういう環境構築を行なっています。


問題集の周回がうまくいく人いかない人

こんばんは、大学受験kawaiラボの河井です。1学期期末テストが迫っている人が多い今日この頃、天気の不安定さと暑さに泣かされております。早くお天気落ち着かないかなぁ…。

今日は数学(そこ、しつこいって言わない!好きなもんで…)の勉強についてよくある話の1つ。○周やるor新しいのをやる、のお話をしたいと思います。「△周したらいけるっていわれた!」とかよく聞く話ですが、割と皆さん好きな話です…よね?

「スタンダード入試演習IAIIB」と「オリスタ入試演習数III」を10周やったら数学はほぼ満点!みたいなお話はよく流れます。非常に努力の跡が見える、そういう話ですし、美談になりますし、そう言う話は語り継がれることがとても多いです。これは定期試験における学校教材の4stepなどでも同じような話が言われます。そして、それでテストがうまくいかない子はちゃんとやってない…果たして本当にそうなのでしょうか?そういう問題提起なわけです。

その周回が正しいかどうかは実は人によります基礎的な考え方と取り扱いを習得すれば適用はお手のもの、というタイプの人はこの周回の勉強法で成果が出ます。未知の問題でも自然と習得している手法を使える人は、その手法の習得こそが勉強の根幹になるので、それこそ覚え込むような勢いの勉強がプラスになるわけです。

一方で真面目に周回をやればやるほど、問題と解答の対を作ってしまう人もいます。真面目に繰り返すことで記憶に問題と解答の文面ごと定着してしまうタイプがいます。そして、本人はそれを習得した、と感じてしまうため、その問題点には気付きません。極端な場合、ワークを5周繰り返して欠点を取ってしまうことさえ起こったことがあります。解いているノートを一見するだけではなかなか見分けがつかないこともあります。

この両極の結果が起こりがちなこの件、それを見抜くには新規の問題(類題)を解いてみて確認するのが1番ハッキリします。少し違うだけで固まってしまうようであれば間違いなく後者です。一方、いくつかの類題をやって問題なく進む場合は自分の現状のスタイルを崩す必要はありません。

では、覚えてしまうタイプの人はどうすればいいのか?基本的な考え方と取り扱い、いわゆる定石を知る、というところはどうしても欠くことができませんが、それを染み込ませ自分のものにする練習として、類題を豊富に解く方が上手くいくことがあります。そういった意味で、1周やって間違えた問題をもう1度やってできるようになっていたら、意図的にやるものを変えることをお勧めすることもあります。これは1回のテストでどうこう、というよりは長期的に付き合いながら見て、タイプを見ながら匙加減をしているところです。

現在、勉強に取り組みながら、イマイチ結果がついてこない、という人は、一度豊富な類題の触れた数で自分の手元を確立していく、ということを試してみてもいいかもしれませんよ。


テストで見るべきものは順位にあらず

今日は、大学受験kawaiラボの河井です。中間テストが終わって(二期制のところはまだかもですが)一部の模試は返却されて、その順位やら模試だと偏差値やら合格判定だとか、そういった話が色々出てくると思います。中間テストはその学校全体として受けるものですから、その順位で買った負けたと言っているのは切磋琢磨という意味では微笑ましい反面、それだけで大学進学のあれこれを語るには不十分ではあります。

先日、「入試システムの選択」でも触れましたが、定期試験というものは一定期間の学習内容の定着を測るものであり、(実力問題を混ぜたりすぐ先生もいますが)基本的には比較的狭い範囲指定をしたテストであるということです。科目によっては教科書+αの丸暗記を力づくでやって高得点を取っている場合(数学でも)もあります。また、文理選択後は同一科目でも難易度が著しく異なることもありますし、選択科目でそもそも試験の数が違うとかそういったことも起こり得ます。それでつくった順位だと、正直なところ「総論として、悪くはないね」ぐらいのことしか言えない、というのが率直な感想です。入試科目だけが全て、ではありませんが、入試どうこうの目安としては不十分であろうかと思います。

ここまでのテスト順位に対する反論はあくまでも大学受験の尺度に定期テストの校内順位を見ることが良策でないことをお伝えするために、その不備にあたるところを突いたのでありますが、こう言うと「いや、いい大学に行く子は全科目ちゃんとしている!」という反論が来ることでしょう。もちろんそういう人もいますが、一方でかなりドライに取捨選択している人もいます(是非はともかく、実は僕もその口で理数以外は最下位近いとかよくあった…。)。戦略上の選択として行なっている人もいれば、自分の興味関心の赴くままにバランス取りをサボりにサボるパターンもあるのですよね。僕はそういうのは微笑ましいと思うタイプなのですが、一部の真面目な大人からは嫌がられるようですし、全否定されることも少なくないようです。

おっと、話が逸れてしまった…。テストで本当にするべきことは新出事項の一定範囲の学習の達成度です。勉強をいかに規定していくかについての前稿でも触れましたが、テストでの間違った部分の検証と次の期間の学習における計画や復習の機会の確保に繋げることが1番大事です。これは模試でもさほど変わりません。ただし、受験に向けた模試では満点に対して間違った分を埋めるという復習というよりは、目標点数(特にマークは)に向けて足りない点数分埋める、と少し色が違ってきます。その微妙な匙加減は人によって違ってきますので、どう策定すればいいかは直接相談してもらいたいところです。

さて、模試についても一言。ある意味矛盾することを言いますが、高2までの模試で学年全体で受けるものについては中期的な目標として、順位を追いかけるのは実はそれほど悪いものでもないです。というのは、これまでの学習全体が反映しないといけない(進度が速い中高一貫校の場合ちょっとどころでないズレがありますが)ので、そのわかりやすい目標設定、モチベーションの部分で寄与するところが大きいからです。定期テストでもそうなのですが、入試の主要科目を中心にする統一のテストの中では狭い範囲では自分の順位、広くは偏差値というのは自分の学力を高めた指標として役立つところであるのは少なからず真実であります。

その一方で○○大に通るには、みたいな話をするのに単純に学校でどれくらい、というよりは世間に通用しているかどうか、から話を始めていくことになります。しかも、その○○大に通るために必要な条件(傾斜だとか、問題の構成だとか)は学校によって違うので、進研模試が高くてもダメじゃないね、ぐらいしか言えないものもありますし、云々、とこれもまた色々な学校事情がありますので、大学ごとの詳細は割愛させてください(必要な方は直接聞いてくださいね)。ただ、共通テストが始まってひとつ共通して言えるのは、マーク模試が私大入試と大きく乖離しかかっており、その偏差値が指標として使いづらくなっている、ということです(ここが今日1番大事なところ)。したがって共通テストに合わせられるからといって次第入試を突破できるとは言えない、学校ごとの構成のあれこれが反映しづらいというところが問題点ですので、当面、過去問の出来(+真っ正直な記述模試)から推察していくしかないでしょう。

短期的・中期的なところだけでなく、長期的な意味で成長し、目標を実現するために見るべきものを見て助言して促していけるような、そういう在り方を常に追求していきたいと思います。


勉強を時間やページ数で規定することの是と非

こんにちは、大学受験kawaiラボの河井です。今日も少々釘を刺すように発言してしまいましたが、勉強を時間数だけで規定したり量を語ったりする言説は非常に多いです。またはページ数や冊数で量の多寡を語る言説も多いですが、本当にそれでいいのか?と言うお話です。

この勉強量を規定することによって学習習慣をつけていこうという、学年的には大雑把に中学生前半までであると、1日○時間はやろう、と規定することはポジティブに働くと考えます。これは日々の習慣を変えることに大きな意味があるので、最初の第一歩としては非常に重要です。後述するようなタスクの達成度で変動的な要素を入れない方がむしろ効果的でしょう。このようなケースの場合だと、毎日ワークを各科目1ページというようにバランスをある程度取るべく、ページ数で規定するのもひとつの考え方であり、いずれも達成度にこだわるというより習慣化の要素の方が強く、また、段階的には習慣化ができれば定期テストなどでの一定の成果は見込まれるであろう、と考えられます。

その段階を超えて、高校生になってくるとどうでしょう。そして、受験生になってきてどうか。教科書を進めていく授業の中で傍用のワークを進め、知識のインプットと手法として定着させていく段階は量が効いてくるところは大いにあります。これはもちろんしっかりと思考を伴わせて学習をして欲しいのですが、思考もさることながら手を動かす経験値がそれなりにないと定着に至らない、という部分が強く現れるからです。そう言った意味においては量的に考えることは必要でしょう。

さて、この場合量で規定するとして、何の量をもって規定していくかという問題が生じます。学習の習慣化の段階では時間数で規定するのは有効な手段と述べましたが、高校生においてもそれは真であるのか。これについて僕はうまくいかない、と考えています。これはラボの生徒にもよく言うことですが、4stepなどのワークをやっていくと同じページ数でもIA、IIB、IIIとなるごとに1ページにかかる時間数が1.5〜2倍くらいになって、同じくらい勉強時間を費やしているのにタスクが溜まっていくことがよくあるのです。つまり、同じ時間数で勉強を規定すると、その時間で進む分量が少なくなってしまうことで必然的に課題が溜まっていく現象に陥るのです。

ではどうしていくのがいいのか。この段階では単純に時間数で語るよりはページ数の進捗で規定する方がベターであると考えます。本来は常に達成度で言いたいところですが、完了したかどうかだけでなく定着度などを含めての達成度となるとタスク完了はともかく、定着についてはセルフチェックしにくいところもあり、テストごとに測っていく方がやりやすいと思いますので、日々の取り組みでいえばあえてページ数の進捗を推すことになります。つまり、ページ数を期限までに(周回を含めて)規定して取り組み、中期的にテストで定着度を確認して、復習と次のテストまでの学習を進めて、というサイクルで進めていくことになります。

このようなサイクルを作っていこうとすると、どうしても時間数で勉強の設計が難しいところが出てきます。どうしても各ページで均一の時間を想定することになりがち(そこまで予見できなくて普通ですよ)なので、想定より時間がかかることも大いにあるでしょう。そこで自分の設計の中に遊び時間(アイドルタイム)といわれる空きを用意しておくことです。その空きの部分で想定とのズレを解消していくことが必要です。そうでないと、ズレがズレを生み、そのズレの積み重ねがストレス要因となって学習そのものを止めてしまうきっかけになりがちだからです。そこで、週に1日でも空きを意図的に入れることでズレの解消や余れば余暇に使ってよい、ぐらいにするのがいいと思います。

受験生にもなってくると、学校のタスクとテストに向けた達成だけでなく、自身の目標とそのための受験科目、その目標における科目間傾斜、自分の現状なども勘案した戦略、そういったことをひっくるめて日常を組み立てる必要に迫られます。この場合も単純に時間数で「各科目1時間ずつ」などとすると、目指す自分には近づいていくことができないでしょう。毎日少しずつやるもの、曜日のサイクルでいいもの、など状況だけでなく科目の特性まで考えて組み立てていくことで、真に目標達成のための取り組みになり得ると思います。そしてその取り組みを中期的に模試で点検・評価することで補正し、その繰り返しでもって目標達成に近づいてもらえればと思います。

という学習の組み立てにおける時間や量の考え方について述べてきましたが、読み返してみてもこれ難しいですよね(苦笑)。というところをカバーしていくためにも、学習をうまくコーディネートしていくアシストはあって良いと思いますので、必要と思ってくださる方はこちらまでお問い合わせくださいませ。

お問い合わせはこちら(大学受験kawaiラボ お問合せフォームへ)


入試に出る?出ない?

こんにちは、大学受験kawaiラボの河井です。随分と暑くなってきました。今日は車を走らせていると温度が35 ºCを表示していて、これで6月上旬ですか…ととてもうんざりした気分になりますね。急な気候の変動は体調に影響しやすいので、皆さまお大事にお過ごしくださいませ。

さて、今日は少しこちらでも言及しましたが、「入試に出る・出ない」論議です。「ここはあんまり入試には出ないので…」と言われるアレです。なんでもできるに越したことはありません、はい、おしまい!では芸がないので、もう少し具体例も挙げながらお話ししていきたいと思います。

まず「入試に出る・出ない」という話にはテストというものの性格もあって、限られた出題数では全範囲の全ての事項を含められない、という前提があります。例えば大学受験の数学だと文理系など差異はありますがおおよそ3大問〜6大問になります。その中に全てを入れ込むのは不可能ごとであることをあらかじめご承知おき頂いて、以降の話を見て頂ければと思います。(薄く広く入れている共通テストでもいくつかの項目、例えばIIBの軌跡と領域や二項定理の話題は多くは見掛けられない、あたりでご納得頂ければ。)

その前提条件の上で「入試に出る・でない」という件についてコメントしている多くの人は入試の出題タイトル、例えば

第1問:微分法
第2問:確率
第3問:ベクトル
第4問:積分法
第5問:整数
第6問:複素数平面

みたいなものを見て、統計的に出る/出ないを言っている場合です。それって本当にそれでいいのか?ということです。例えば次の例題。

この問題、普通は「三角関数」とか「三角関数の最大・最小」とタイトル付けされます。ですが、置き換えを使うと数Iでやる2次関数の最大・最小問題の軸の位置による場合わけに帰着されます。ですが、問題タイトルには「2次関数」の言葉は出てきません。それをもって「2次関数は2次試験にはあまり出ないから」とは決して言うことができません。

それではもう1つ、よくある数IIの微分の問題。数IIIだと関数のところがややこしくなります。

これもよくある問題ですが、微分して求めた導関数f’(x)がx=1で0になるから、でaの値を求めて、それからそのaの値でちゃんとx=1で極大になるかを確かめる、という、定期テストのときにはテンプレのように解いている問題です。これ、気づいていただけたでしょうか?「そのaの値でちゃんとx=1で極大になるかを確かめる」というところ、単なるお作法にしてしまう人が多いのですが、x=1がf’(x)=0の解になるからでaを求めるのは必要条件であり、十分性を担保するためにそのaで条件を満たすことを確認するのです。これでようやく必要十分条件として答えとして提示することができます。数学の問題はよく「必要十分条件となる答えを求める」というような言い方をされます。多くの問題が答えに辿り着こうとするとその必要十分性を追求していることになりますが、いくつかの問題は値を出すところは必要性しかできておらず、十分性の保証が必要になります。これが数Iの集合と論理のところで学ぶ必要条件・十分条件の話が埋まっているところです。しかし、この問題のタイトルは「微分法」になるわけです。集合と論理の話を入試に出ないと言ってしまうような浅はかな発言をしてはならないわけです。

したがって、多くの大学で数学I・A(場合の数と確率、整数の性質)・II・B(数列・ベクトル)・III(理系のみ)と範囲設定していますが、その全範囲から出うるし、メインテーマや見た目が違っても他の単元の手法・知識・論理が埋まっていることは往々としてあります。そういった意味では「ここは入試にはあんまり出ないから…」と特に高2までに言うことは慎んだ方が良いでしょう。

その一方で、我々講師は「ここは入試にはあんまり出ないから…」という発言をそこそこします(ちゃぶ台返し)。その場合は過去問を精査して、受験までの残り時間と現状を勘案して、取捨選択の手段としてそのようにスパッと言い切り型にしていることがあります。共通テストとの兼ね合いから好んで数IIIの特に微積分が出題されることは事実、ほか、大学ごとに多少あれこれあるのですが、目標達成のための取捨選択のためにその辺をひとつひとつ精査した方策としてお伝えしていますので、それくらいのつもりで聞いて頂けるとありがたいです。