お悩み相談回答12/2–部屋での勉強

爆裂個人塾長座談会閲覧所」に届いた次の質問について,大学受験の専門家からお答えさせて頂きます。

<ご質問内容(引用)>
高校生。自分の部屋で勉強してますが集中力不足で寝てたりします。そんな時を目撃した場合、
親として何か言うとするならば
何と言うのがベストですか???
何も言わず見て見ぬふりで良いので
しょうか?別の場所、例えば放課後の学校や図書館、リビングでも~
と提案しますが自分の部屋ですると言います。

 

<河井の回答>

よくあるといえばよくあるお話です。本人はやっていないこともないでしょうけど,おそらく結果としてはまだ不満足,というところだと思います。

本人は部屋でやりたい,それは快適だからですね。その気持ちはとてもわかります。慣れた部屋で勉強したいですね。僕もそうです。デスクワークのいくらかとか解答作成とか自室でしたいと思うんです。

でも,ダメですねぇ。

快適な自宅では自分のスイッチが切れてしまうんですよね。だから,思ったようには勉強できません。大人も一緒。なぜスタバやコメダで仕事や勉強したりするのか?その答えがそのままお子さんに問いかける言葉になります。

人は想像している以上に「場所で意識が支配されるいきもの」です。家に帰っただけでスイッチが切れてしまう。そういうことなんですね。だから,場所で自分のやることをコントロールするのがかなりやりやすいです。

そのために有料の自習室や1科目だけでも受講して塾・予備校の自習室を利用するというのが一番手っ取り早い解決策になります。なので,「家以外で一番気が進みそうなところはどこがいい?」と聞いてみてあげてください。


ガチンコ小論文−2012年大阪教育大後期より

今日は文系の小論文を書いてみました。ちょっとつかみどころのないテーマなので,問題設定をしながら書いていたら800字に来ちゃった,という感が拭えないのでお蔵入りしたいぐらいなんですが…。せっかく書いたし思い切って出してみよう。

<お題>
芸術には規則がなくてもよいか。(800字程度,大阪教育大学2012後期)

<河井の解答案>
 昨今,あいちトリエンナーレで問題となっている芸術の自由と公益の対立があるが,そもそも芸術に対する規制や自由とは一体どのように規定されるのか。まずこれを規定していかなければ芸術の規則の論は進まない。
 では芸術に対する規制や自由とは何であろうか。それは絵画や書道の各々の分野といった具体的な表現技法ではなく,芸術と社会の関わりにおける受容の観点から考える。芸術に対する受容は主にその作品の意匠と,作品が示すメッセージ性から受ける印象によって規定される。したがって,作品が提出されるとそれはその提出された先でオーディエンスによって鑑賞され,作品が批評される。その集団でなされる批評の集合体がその集団におけるその作品の受容と不受容が生じる。
 前段,私は単に集団と表現した。その集団が例えば一定の嗜好を持つ極めてクローズドな集まりであるとき,過激な表現であろうが反社会的な表現であろうがそれが戯れ,遊びとして受け入れられうる。そのような作品をよりオープンな集団に提示すると,その集団では不受容になることが大いにあり得る。この集団の性質による受容と不受容の合意の差異が生じることに対して,ゾーニングという形での障壁を作ることは必要である。芸術の自由を保障する一方,ゾーニングによる規制をするのは,むしろ規則がその自由を担保できると考えるからである。それはある集団に不受容になる作品を提示することで生じる反発を避けられるからである。
 作品の不受容は単純に人の集団の性質による不受容の場合もあるが,集団が形成される場を提供する立場にも依存する。例えば行政が提供する場においては,その公共性から通常の受容よりも高い公益性や道徳性が求められることになったとしてもなんら不思議ではない。重要なのはその場が求める質をきちんと説明し,場に集う集団との受容,不受容による衝突を避けることにある。それは場を形成する側の大きな責任である。このようなすり合わせによる規則こそが返って芸術の自由を担保するものである。

 

表現が提出された先で受け入れられるのか否か,それはクローズドな集団とオープンな集団で異なってくるし,また,その集団の成立背景にも依存するだろう,そこで受け入れられない芸術の自由を担保するためには,むしろゾーニングなどでその受け入れを擦り合わせよう,という論にしました。

ちょっと思っていることより尻切れとんぼ感が出てしまうのは,終盤字数足りん!となったことは正直に告白します。

今回のお題は非常に設定がアバウトです。そもそも芸術と規則という,素直に考えて最も結びつかない言葉が並べられているわけです。どうやっても,芸術への規則とは何かについて定義づけをする必要があります。今回はその規則とはその集団に受け入れられること,そのための制限と設定しました。これは単一の解ではなく,解答者自身が定義し,その定義に沿って論ずるところです。

おそらく,入試としては稚拙はともかく,自分なりに規則を定義づけし,その定義に沿って意見を叙述できれば合格点に達するのかな…,と考えています。大きなお題に対して問題設計をできるか否か,を見ているんでしょうね。

にしても今回は難しかった…。うかつにノリで「僕も書きます!」なんていうもんじゃないなぁ…。(ノリと勢い,伊達と酔狂とか言ってる報い,笑)


お悩み相談回答11/24②–建築学科の強い大学の選択

爆裂個人塾長座談会閲覧所」に届いた次の質問について,大学受験の専門家からお答えさせて頂きます。

<ご質問内容(引用)>
高校1年生の親です。毎日閲覧所楽しみにしています。
大学受験の話題もよろしくお願いします。
夏休みのオープンキャンパス参加で東工大に行きたい!と頑張っています。建築科希望です。
建築以外は考えていないようなので、東工大も含め建築科ならこの大学がおすすめ!などありましたら教えていただきたいです。所在地や国公立私立は問いません。
地方在住で高校の進路指導は、国立を目指せ私立なんかダメ。の一辺倒で残念ながら細かな進路指導は期待できません。県内一の県立高校なのですが。
建築の教育が充実している、就職先へのパイプが太いなど分かるとありがたいです。
よろしくお願いします。

<河井の回答>

大学受験で実は一番ミスマッチが多い分野なんですよね。化学工学といってひどくミスマッチを起こすことは比較的少ないのですが,建築だけはそうはいかないのです。

建築には意匠設計,構造設計,設備環境設計,材料,建築史,都市計画,ランドスケープ,そういった細目があるのですが,ひとくくりに建築学科といってしまうと,どうしても各大学がどの分野に強みがあるかは見えてこないです。そこをはっきりさせていくことがどうしても必要です。漠然と建築学科,というだけでなく,どういう建築学科に,どういう建築の専門家になりたいかをしっかりと煮詰めること,に尽きます。

その分野については以下が参考になると思います。

http://aochan.jp/kenchikugakka/

そこが煮詰まってきたら,それがそのまま学校選択につながると思います。ちょっと抽象的で直接のお答えになっていませんが。

より詳細など,ご相談いただけるならメールを頂ければと思います。より具体的な情報を加えてお話しさせて頂きます。メールをくださる場合には

mail@kawai-lab.co.jp

に頂ければ幸いです。クリックでメーラーが起動するので,お気軽に!


お悩み相談回答11/24①–センターまでの理数の勉強

爆裂個人塾長座談会閲覧所」に届いた次の質問について,大学受験の専門家からお答えさせて頂きます。

<ご質問内容(引用)>
こんばんは
いつも役立つ情報を見せていただき、大変ありがとうございます。
今年4月に真島先生のブログに出会い、子育て、教育について多くを学ばせてもらい感謝しております。

九州の地方都市にすむ高校3年生女子の母で、受験、勉強方法についての相談です。
娘は看護大学受験予定です。
金銭的に、国公立希望ですが、無理なときは私立と考えています。
高校(偏差値58)入学後は部活に明け暮れ、成績は見るも無惨なものです。
今年7月末に部活引退後、受験勉強に取りかかり、悪いなりに上がっては来ていますが、、
直近の模試は900点換算で410点前後
目標点までは130点欲しいところです。
残り50日で伸びるのか、不安しかありません。
一番悪い点数が化学で、100点満点で20点です。あとは、数学が似たような成績で伸び悩んでいます。
化学の勉強方法は、『リードα化学』という問題集を8割りして、違う問題集をしようかと言っております。
数学は、今年8月から塾に行き、勧められた黄色チャートで学習中です。

センターまで残りの期間、化学、数学の勉強法を御教授頂ければ幸いです

<河井の回答>

九州ですといくつか候補が挙がりますが,センターと面接/小論文/総合問題の組み合わせになると推察します。

ということでしたら,あと2ヶ月弱でセンターをなるべく向上させる必要があります。私立の科目の組み合わせ次第ですが,おそらく数学IIBと化学はセンターが主眼になるでしょう。

となると,数学の黄チャートの基本問題やリードαのリードCができれば早々にセンター対策問題集に移る方がいいですね。センターの形式と流れになれてしまう方がいいと思います。難易度高めの記述対策の問題は飛ばしてもらって構いません。数学IAも私立の難易度によりますが,センター重視の方針に合わせて問題はないは少ないと思います。

ただし,黄チャートでは分厚すぎて終わらないリスクもあります。でしたら,「短期集中ゼミ」の数学IAIIB(青緑の表紙)をやる方がコンパクトかと思います。その上でセンター数学は基礎の確認も含めて,「ベストセレクションセンター試験2020数学重要問題集」で基礎の確認から流れをくむトレーニングをしていけば良いと思います。

また,化学は理論の計算が手につかず,点を落とす傾向があります。そこで,第3問以降の無機,有機,高分子の知識分野にフォーカスして点数を取れるようにするのがいいと思います。知識の定着が足りないなら,一度「必修整理ノート」に取り組んでから,の方が早いかもしれません。それとリードαの標準的な難易度(リードC)まで,そこまできたら「問題タイプ別大学入試センター試験対策問題集化学」に移ってもらえばいいと思います。

化学も数学も,困った時に答えてあげられる体制をしっかり作ってあげてください。より詳細など,メールやDMなど頂ければできる限りのサポートをさせて頂きますので,具体的な学校名など含めてご相談ください。

より詳細など,ご相談いただけるならメールを頂ければと思います。より具体的な情報を加えてお話しさせて頂きます。メールをくださる場合には

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理系小論文-大阪府立大生命環境科学域応用生命科学類2019年後期より

河井はベンチャーやポスドク時代に産学連携の提案書を書いたり,プレゼンをしたりしていた経歴もあり,理系の小論文や自己推薦書の指導をすることがあります。今日は1題,大阪府立大学の後期の問題を河井なりに書いてみたので,提示してみたいと思います。

 

<設問>
下記の文章(小松左京『骨』1977年より,著作権を考慮して省略)を読み,最初に設定された「意義」と,それとは全く異なる「意義」がうみ出された科学技術の例を挙げ,例に挙げた2つの「意義」についてあなたの考えを600字以上800字以内(句読点を含む)で論述しなさい。

 

<河井の解答案>
 アルフレッド・ノーベルはニトログリセリンを爆薬とするダイナマイトを開発した。ニトログリセリンは極めて鋭敏な爆発物であり,取り扱いが困難であったが,ノーベルの工夫により取り扱いが容易になったことが知られている。ノーベルはダイナマイトを土木工事の安全化を目的としてダイナマイトの開発を進めたと言われている。しかし,このダイナマイトは強力であるがゆえに軍事用に転用され,土木工事の安全化と全く異なる用途で用いられるようになった。
 最初の開発の意義は土木工事をはじめとする産業の活性化,それに伴う経済発展とビジネス的成功と考えられる。技術者にとって自らの技術で産業を発展させよう,というのは極めて素直な欲求であると考える。そのときに本来の意義以外の転用を重視するだろうか。私がノーベルであれば自らの発明が産業構造を変えている,その未来図に心を奪われ,その実現だけに夢中になっているだろう。
 一方で,開発者ではなく別の目的をもつ立場であれば,ダイナマイトのその威力をどう使うことによる利益を考えるだろう。当時の帝国主義の背景のもとで活動する立場からすれば,この破壊力は軍事的な魅力に溢れる。良くも悪くも科学技術の魅力は人を魅惑し,自身や国家の願望へと突き進ませてしまう。現代の我々の立場からすれば,その願望と暴走に歯止めをかけることが必要である。だからこそ,現代では研究に倫理審査が設けられ,その危険性について第三者の目で判断することがなされることが増えてきた。
 現代においても研究者が意図と目的をもって精力的に開発を行っている。それを人々の平和と安寧のためから逸れるような用いられ方をすることは,我々自身の社会の目でもって阻止せねばならない。そのために,我々自身が科学的な知識を蓄え,その知識と良心に沿って適切な判断を下していくことが必要である。

 

従来の過去問で多くみられる問題意識を提示し,その解決のために自分は○○を取り組む,という形ではアプローチしづらい問題になっています。特にこの出題では,元の発明が別目的になった例を知識としてもっておくことが必要になります。つまり,一般的な受験勉強で前期まで取り組み,後期までの間に小論文の体裁を整えるだけでは難しい,という問題に変わっています。これが次年度も続くかどうかは予言者でないので判断できませんが,その可能性を考えて,今後の理系小論文の立場では,科学史などにも手を出していくことが必要になってくるかもしれません。

今回は比較的誰もが知っているダイナマイトを事例に挙げました。ノーベルはダイナマイトの軍事転用の可能性に気づいていた,との説もありますが,それについてはよく言われる土木工事から軍事に転用され,心を痛めた,という風雪にしています。それはおそらく,高校生が化学の授業で聞かされたことのあるストーリーに沿う形の方が論がさっぱりすると考えたからです。

この論ではそのストーリー通り,2つの目的を「土木工事への利用とビジネス的成功」と「軍事転用」の2点にしました。一方には科学者が夢見るであろう絵図の気持ちを,後者には別の視点での利益中心主義とそれに対する牽制の必要性,そのための現代の我々のあり方に触れました。そうすることで,我々が科学リテラシーを身につけ,さらに科学技術を暴走させる動きを牽制する方向にまとめようとしたものです。

小論文,特に理系の小論文については,「自分自身がプレイヤーとしてどのように解決に寄与するのか」という視点が重要です。この題目は少し直接的な行動に結び付けにくいところがあるかな,とは思いますが,常にこの問題解決案と実施に向けた意識,ということを心に留めていないといけません。極論,自身がプレイヤーとなる決意表明でもいいくらいです。サイエンスの現場はプレイヤーを求めており,評論家を求めていないのですから。そしてその解決案は「正解である必要は必ずしもない」のです。自分なりのアプローチができる,その表明をしてもらいたい。

また,折に触れて理系小論文の解答案の検討もこのブログでやってみたいと思います。他の解答案もあれば是非。


センター試験は言語論理との戦い

明後日は河合塾のセンター試験プレテストなので,やっぱり気持ちがセンターに向かう今週です。弾みがつくように,もありますが,後2ヶ月弱で取り組むべき自分の課題が見えてくればいいですね。

さて,センター試験(もちろんその模試もですが)は言語論理との戦いです。言語論理との戦いであるがゆえに,kawaiラボは国語を通じた言語論理の向上を1つのテーマに据えています。

さてさてセンター試験,数学も流れで引っ張っていく形式が非常に多いです。時に記述よりも点数が取れない,と嘆く子まで出てきますね。センターは教科書レベルという触れ込みから考えると,意外と思われるかもしれませんが,昨今のセンター型の問題は随分と手が込んでいます。僕が解いても,20年前の1.5倍くらいかかるくらいは難しくなっています。

で,先の記述より点が取れない,という場合,科目として問題を解く力には問題がないわけです。この場合はセンター型の誘導に乗れていないことが多い。その乗り方はもちろん練習もありますが,言語論理を意識することで改善が見られます。

また,化学だと少し見慣れない設定がよくあります。その設定を解きほぐして処理に向かわないといけないのですが,その時に必要な力が言語論理です。パターンだけでクリアしようとすると点をどんどん落とします。また,センター(私立マークもですが)正誤問題が多く出題されます。そのときの整合性のチェックにも言語論理の意識が役に立ちます。漠然とまぁ合ってるでしょ,と選んでひどい目にあうことがしばしばです。

言葉に対する意識をもつ,ということは評論文のように直接的に点数に直結しているわけではありません。ですが,その意識が欠けていると,知識や手法の習得以上に点を落としていく,それがセンター試験だと思います。単純な処理力テストではありませんよ。それを意識して,プレテスト,直前の演習,本試験に臨んでもらえればいいかな,と思います。


賢くなる演習ノート

こんにちは、大学受験kawaiラボの河井です。では早速今日のお題。

学力がつく数学の勉強ってどうやるんですか?

これは高校数学の勉強の上ではかなり重要な命題であると思われます。数学ができるようになるためには,日頃からの演習によるトレーニングが欠かせないのですが,案外,正しくトレーニングしてるね,と言える人は多くありません。

河井が考える数学の勉強の秘訣は,日々の演習ノートの書き方にあると思っています。多くの子のノートが計算式と答えとそれの○×に終始しています。それでは数学の思考はおろか,記述の力も何も育たないのです。ではどんなノートになるべきか?問題を実際に解くノートの例を示します。

1問だけコピーして河井が解いたものです。ちょっと半分に綺麗に分けれていませんが,2段にして上からきちんと書いています。単純な計算ドリルのような問題は除いて,全ての問題をこのような記述式の書き方で解いて記述する。

ではなぜこの書き方が良いのか?

それは思考や論理の流れを見直してもきちんと追うことができる,もちろん,このように書けば他の人にも伝えられる,つまり,記述がいつものこと,になっていくわけである。その積み重ねが数学の論理の経験の積み重ねになり,思考力の土台ができるものと思っている。

僕自身,この取り組み方でサクシード(ワーク),赤チャート,スタンダード数学演習IAIIB,オリスタ数学演習III,過去問で十分に合格点を取ることができた。このノートでたくさんの子が時間はかかるけど数学の改善に至った方法。魔法のような方法ではないけど。大学受験kawaiラボで演習を課すときは,この取り組み方で1枚1枚,高1から答案をチェックする。だから成績が伸びるのだと思っている。

センターは別物でしょ?という人がいる。多少,簡略化は必要だが,やはりきちんと書きながらそれを省力化することでベストスコアにしていくことが必要だと思う。そうしないと,ただの作業化やテクニックに走ろうとして行き詰まり,伸び悩みの原因になってしまう。これも,僕がサンプルで解いたものを提示しておこう。

こんなに書いたら時間がない!という人は根本的にマークの取り組み方を間違えていると思う。きちんと流れを追いかけながら試行して初めてマークの高得点が得られる。そういうものだと思う。

本当に力のつくやり方,というものは労力を要するものである。学問に王道なしともいう。最後に化学の新演習にも書かれている次の言葉を記して締めておきたい。

「苦痛なしには勝利なし,荊を避けては王座なし」


壁の向こう側の勉強

ちょっとこいつ,何言ってるかわからない。そう言われることを覚悟して書きますね。

旧帝大とか東工大,一橋大に向けた勉強,私立でいうなら早慶とか。そういったところを目指す勉強は壁の向こう側に至っていないと苦しいな,と感じます。その壁の向こう側の勉強ができれば,高校入試でも大阪のC問題とか,あと,神奈川の特色入試や東京の自校作成などの高得点突破にも通じるところがあると思います。

僕は理数系の人間なので,数学(他科目も変わらないけど,話しやすい気がするので)で話を進めよう。

数学の勉強はまずは定義を知り,これまでの知識と定義から導かれる定理や性質を学ぶ。そして,4stepなどのワークでその基本的な運用をつかむ,その発展形をチャートや受験用の問題集で取り組んでやり方をマスターしていく…。

非常にザクッとしてますが,数学の勉強といえばおおよそこのイメージを持つ人が多いと思いますし,この流れで勉強してる人が多いことでしょう。

でも,いずれ頭打ちがきます。頭打ちなんて来ないぞ,という人は実は知らず知らずのうちに壁を超えている場合です。

頭打ち,と言いましたが,センターでそれなりに高得点が取れますし,上位大学にスッと入れることの方が多いです。ただ,その先があるということです。

それは1つ1つの原理や法則をどういうことか,と深く考え,ただのツールと解き方にすることなく取り組むというもの。そして,1つ1つの問題を自分の手で解きほぐし,どのやり方を,ではなく,何ができるだろう,これをやってみようかなとチャレンジしていくトライアンドエラーの学び。

理科ではこれに加えて現象や実験を記述した文章を読み込み,その情報を整理・抽出し,何ができるか考える,言語論理と科学的思考の融合が必要になります。ただただ公式や法則の使い方,に走っていったのではどうしてもこの手の問題に太刀打ちできない。

使い方は使い方で必要,原理原則だけでいきなり使えない人の方が多い。そこに異論はないですし,使い方をしっかり見せて,それをモノにしないといけない,それは前提。でもそれだけではない,そういう勉強に踏み込んでいって,そして,視界が開けてようやっとたどり着く境地。

そんな勉強に取り組んでいけるようにしていきたいですね。


塾で人生が変わった卒業生の話

人生を変えるために塾を探す人は少ないけども,そこでの出会い,変化が人に変化をもたらすことはいっぱいある。明らかに変わった!という子もいれば,非常にナチュラルな変化なので,本人さえ自然だと思っていることもある(思い返せば…的な変化ですね)。今日はその中でも劇的すぎる変化を今尚続けている子の話を。

その彼は卓球がとても強く,なんかの大会で優勝したりするくらい,なんなら卓球だけで大学に行けるくらいだった。でもスポーツで大学に行くと,やはり故障とかした時に在学し続けにくいらしい。それで,自力での大学進学を目指した勉強に切り替えることになった。

彼は中堅どころの高校に行ってたのだけど,「どうやって入ったの?」と言いたくなるくらいの惨状だった。そりゃあ卓球漬けでクラブチームまでやってればそりゃそうか,とも思うけど。(後で聞いたらその高校に入ったことも周りは驚くくらいだったらしい。)高校入試偏差値50は大学受験偏差値40と同じ,とか言われたりするけど,英数とももう10ずつ少ない感じだった。

ただ,生物だけはすこぶる相性が良かったのか,非常に楽しそうにやっていた。生物ともう1科目とか,生物のみの受験とかあるのも知ってたので,「生物,死ぬ気でやって偏差値60にしろよ,そうしたら自己推薦文とか考えてやろう」と煽ってみたのだった。1科目で面接付きはちょっと厳しいかも,と思いつつ,これで引っ張れば生物数学の2科でなんとかなれば,という気持ちであった(なお,英語は中1〜2レベルからやり直さなければならず,絶望的なので事実上放棄)。

どうなることやら,と思っていたらあれよあれよと生物だけは成績が上がり,生物だけは国公立上位クラスと競っていけるくらいまで育った。覚えるためなら整理ノートを10回でもやり,ワークを解き続け,おかげで他の科目のせいで留年しかけるくらいやってた。もはや執念。その気合いに免じて,ヒアリングの末,99%清書以外僕が書いたと言って過言でない自己推薦文とともに出願した。

生物のテストはできたのであろう,なんとその大学の1次試験を突破したのだ。滑り止めの生物数学2科は箸にも棒にもかからなかったのに。そこでサイエンスとしての受け答えを教え,何があっても開き直って,力が足りないと言われたら「気合いで埋めます!」と答えろ,と言い含め,元気よく出陣させた。

面接でいろいろやり取りして,「この自己推薦文,自分で書いてないやろ?笑」と突っ込まれたらしい。そのとき彼は,「塾で河井先生という方に書いてもらいました!そちらの先生とは同期とのことです!」と開き直ったらしい。こりゃあ落ちるよな(苦笑)…。

ところが,合格!

生物の偏差値=英語の偏差値+数学の偏差値,のような彼で留年も危惧されたのですが,なんだかんだいって生物研究に精を出しています。中学生より英語ができなかった彼が,英語の論文を読みながら研究するようになるなんて…,おじさん泣いちゃうぞ,みたいな感じです。論文も一流誌に掲載されるかも,とのことですし,大学院進学も勧められるほどになっていると聞いています。

こんな風に人生を変えることもある大学受験への道,全力で取り組むのは悪くないと思いませんか?


自由度を上げて不自由になる子たち

僕たちなどは地域の塾として,色々な子たちと関わっているわけです。

そうすると,自由自在な解法で奔放に考えさせる,そういう学問的には正しい姿勢では成績が上がらないこと,むしろ苦戦することがあります。

一部には,そういう子たちには道を変えるべきという意見もあるようですが,僕はそれはしたくない。希望をなるべく叶えられるようにしていきたい。

じゃあどうするのか?

僕はわざと1通り(ただし,汎用性だけは高い)解法を徹底させてしまいます。

これは学問的な本道ではないという批判もあると思います。

でもね,現実的にその子の道を切り開くには,自由に溺れ死んでしまいそうな子に,正しいからだけで自由の海を泳ぐことを強要していいのか?

僕は受験という壁を越える,という一点においては時に不自由さで道を整える手はずをつけるのも決して悪くないと思いますよ。

自由にやることで不自由になる,不自由にすることで動き出せる。

そんなことがあるんだってこと,もう少し知ってもらえて,少しでも前に進める人が増えればいいなと思います。