平等と不平等
といっても最近騒がしい社会問題をやるつもりではなく。
塾における平等と不平等ってなんだろうな、って。
全員が同じカリキュラムをこなし、同じテストを受けるなら、そして集団指導がベースなら関わり方から均一化していくのがいいのかな?
まぁラボは一部集団指導も入れてますが、基本的には集団個別指導、そしてこの多様化してる大学受験がフィールド。
そうなると…。
まずひとりひとりの選択科目が違う、から始まり、方式が違い、日程が違う。
同じ選択科目でほぼ同じ日付でも対策がガラッと違うことも。
そもそも同じ対応なんてできねー!(笑)
の一言に尽きるんですよ。あまりにもケースバイケース過ぎて。
そこにひとりひとりの状況が乗っかってくる。数III履修中の公立生と教科書は終わった私立生とか。
物理の教科書が学校で終わってる子と、3分の1くらいやらないまま年度末を迎える子と。
これを同じ対応してたら悪平等になってしまう。誰も幸せにならない。
幸い、ラボは集団個別でひとりひとりの状況に合わせるというのをひとつの指針として宣言できた。
勉強が得意でより高みを目指す子にはべったり教えるというよりは問題という肥料を与え、壁にぶつかったときに議論するという形。
学校で教科書が終わってないとか、基礎があやふやというなら講義も含めて仕込みながら、自習でマスターできるようチェックして、という形。
対応として全然平等じゃないなぁ。
でもこれね、ベクトルの違いだけなんだよね。
本当にひとりひとりを考え続ければ同じアンサーなんてない。それをやるのがラボ。
これに賛同してくれる人に来てもらいたいな。
僕たちのできる限りを注ぎ込みますよ。