センター試験の結果とここまでの合格実績

大学受験kawaiラボのセンター試験の結果として平均点を出しておきます。ラボ初年度だから弱いと思われたくないので、ポリシーを曲げて公開します。単なる平均と言えばその通りですし、個々でいうともっと取れるようにしてあげたかった、ということばかりが先に立つのですが、それでもみんなの頑張りを見てもらえればと思います。

センター平均(ただし、理社は人数少ないので一括で)

英語(筆記+リスニング、200点換算) 136.8
数学 137.5
国語 142.5
理科 71.3
社会 76.4

国公立集計パーセント 平均70.9%

 

また、今年度ここまでの合格実績です。一般しか私立を受けない生徒もいるので必ずしも多くはありませんが。

  • 武庫川女子大学食物栄養科学部
  • 同志社女子大学現代社会学部
  • 京都薬科大学薬学部
  • 京都橘大学看護学部
  • 大阪工業大学工学部
  • 帝塚山大学現代生活学部
  • 大阪産業大学経済学部
  • 大和大学理工学部

センター試験にせよ、推薦にせよ頑張ってくれたのは生徒たち自身、そして河井の至らないところをカバーしてくれたスタッフたちです。新しい塾でもこれだけやれる、というのを見せてくれて本当にありがたい限りです。

この記事がひとりでも後に続こうとする子たちの背中を押しますように。


現役合格率90%越えの欺瞞

今日はちょっとスパイシーなお話です。

高校受験の進学先を決める頃ですが、特に私立で現役合格率の高さを謳っているところがあります。ここに行かせてやれば先々安心ね!

本当ですか?本当にいいんですか?

この90%を作るためにどれだけの意に沿わない進学が受験があふれているか、普通に暮らしていて想像もつかないかもしれません。そのひどいケースをちょっと紹介します。

まず、思い通りに受験することを阻まれます。成績がよく、コース別で上のコースにでもいれば指定校の管理から奪われていたりします。「キミたちは一般で通れるでしょ?通れない下のコースに譲りなさい。」と。それでいてリスクがあると下げさせて、とにかく現役にこだわる。国公立志望でセンターが足りなかったら、親元離れて考えたこともないところへの進学を極端に推す。学校の都合が先。そんなことが一部にはまかり通っています。

もちろん、そうじゃないやり方で高い結果を出している学校もあります。ですが、そういう不自由な中で受験をやらざるを得ない、ということもあるということを知っておいて欲しいのです。過去、そういう事案で本人が学校と大げんかした話もいくつもありました。そういう道をこれからの人に歩んでは欲しくないのです。

だからツテでもいいのでよく学校の事情を聞いて、その上で信頼できる学校を選んで欲しいな、と思います。入ってから、「こんなはずじゃなかった…」だけは避けられますように、じっくりと情報収集してくださいね。

少し昔のキズを思い出したので、チクリと。


数学で文理を決めていい?いいわけないでしょ!

「キミ、数学できないから文系にしなさい」

とか、

「キミは数学得意だから理系だね!」

こういうのよく聞きませんか?文系理系っていろんな要素があるのに、ただ数学だけで文理を決めようととする人がいっぱいいますよね。当の本人がその気持ちになるのはまぁわからなくもない。数学が大きな壁になるから。でも学校や塾の先生がこれを言い出すから始末に負えない。そんなときに言うことはひとつで、

「その程度の了見で進路指導するなら今すぐ辞めてしまえ」

です。そもそもなぜ1科目の事情で決めつけなきゃいけないのか?数学は付き合い方がイマイチで壁にぶつかってるけど理科は抜群にできるとか、そういうことは一切抜きに数学だけで決めようとするの、おかしくないか?

僕から単一科目のプロフェッショナルを目指すのではなく、ジェネラリストを目指す(各科目でプロフェッショナルに負けないつもりですが)のはその辺りのことが理由にあるのです。やりたいことをやる、そのためにここに行きたい、じゃあこれで何点こっちの負荷を高めにしててん、みたいにコーディネートしていきたいんですよね。数学の適切な付き合い方を考え数学以外を強めるとか、その逆に数学特化するとか、その方針って本当に千差万別でそれこそ人の個性、性格、思考法を踏まえてでしかできない。そういう人間を観る目に科目知識を持たなきゃいけない。そうでないと偏差値で切り分けられるだけの世の進路指導を上回らない(偏差値は他者との相対比較の重要な指標ですが、それ以外の要素があるのですよ)。これができることは地域の塾としては当然の義務だと大学受験kawaiラボでは考えています。

本当にやりたいこと、なりたい自分を見定めて、そのためにこうなりたい、その想いを見せてください。それさえあれば、そこに架けるべき橋は一緒にデザインしましょう。それがトータルプロデュースを掲げる大学受験kawaiラボの進路指導です。


センタープレテストを受けて

昨日は河合塾のセンタープレテストでした。kawaiラボでも公募推薦が重なっている、学校が駿台模試を設定している以外のメンバーは受験しています。この後、自己採点結果を見てお話することになるかな。(まだ外での用務中なので)

そこで話すことと同じなのですが、

センターまでの2ヶ月弱でどこが課題なのか?その課題の中で最も割が良いことは何か?

をちゃんと考えてもらいたい。課題をクリアするのはいいのですが、その課題をクリアしたら点数が何点改善されるのか?それが一番上積みが大きいのか?を考えて、そこを優先的にやらないと意味がない。だって後2ヶ月もないのだから、自分の利益を最大にしなきゃいけない。目指すところが違えば傾斜もボーダーも違う。ひとりひとりの答えは違わなければならない。そこに各自の答えや仮説をもって臨んでいかないと本番のセンターでの結果は期待できないので、これは心しておいてほしい。

余談だがセンター模試では私立の子のため以外には偏差値なんて見ない。まぁチラ見くらいでこれを出来の指標にしない。センターはあくまでもパーセントを狙うテスト。生点で取れてなんぼ、傾斜のパーセントがあってなんぼ、なのだ。偏差値よりも到達パーセントにしか関心はない。個人の特性と志望校の傾斜の兼ね合い、これだけを考え、その達成だけに心を砕く、それだけに一意専心してもらいたい。

ここまで来たのだ、後は結果にすることだけ考えて詰めをやっていこう。


河井、人生初の…!

人生初のチラシを出しました。

ラボの近くにはポスティングにて3000枚強、もう少し半径を広げて某新聞で3000枚強配布して頂きました。(予算少ないので1誌しか入れてなくてごめんなさい!)

自分の写真がデカデカと出るのはちょっと照れ臭いもんですね。裏面は僕の思うところをガンガン書いたのでちょっと文章多いですが、これが伝わって共感頂けるご家庭に来てもらえればな、と思っています。

なにぶん、初めてなのでこじんまりと撒いたのですが、まだお手元にないお知り合いの方に渡したい、という方は100部足らずですが手元にありますので、お知らせください。

よろしくお願いします。


環境の力を甘く見るな-進学校が進学校たる理由

昨日、「爆裂個人塾長座談会閲覧所」でも話してたのですが、進学先でどう人生が変わるかというお話しです。

最初にこのスクショを見てもらいたい。これは僕の母校の進学実績です。

定員は360人だったはず(320に減ったっけ…?)で、学年の1割以上が現役で京大、阪大筆頭に旧帝大に、4分の1以上が国公立大学に行くような、そういう学校です。同窓会誌によるとセンターの学年平均が75%ですからね、平均越えれば関西だと大阪市大あたりがきっちりボーダー、もう少しで神戸大だとかに届くわけです。

そういう学校なので、さぞかし素晴らしい授業が!と思われるかもしれませんが、そういうわけではないです。これは公立だからというわけでなく、私立、それも中高一貫の私立でもそう。カリキュラムはまぁ早いですし、ウィークリーテストや課題などの負荷はでかいです。普通の高3がやるようなことを高2で通り抜けたりしてますから。僕もそうだった。

でもね、そこじゃないんですよ。上から落とされてきたものじゃないんですよ。

それは「強烈な横への意識」。周りに対して遅れを取りたくない、落ちこぼれたくない、あいつに負けたくない、そういった意識が早期から起こりやすい。これが一番強烈に効いてくる。

いや、だって全国偏差値60越えして、校内偏差値が50いかない、なんて天狗になれやしない。前回70台でもすぐ隣にもっと上がいる。その環境でギヤを下げられるか?まぁ下げられないでしょうね。事実、校内で97とっても下げられなかった。(97は分布のマジックでしかないのですが、普段は70台でしかない)

僕はこの環境の力を「環境補正」と呼んでいる。会社員時代はほぼ任せっぱなしだったけど、高校受験も見ていた。そのときの力と3年後の力、明らかにひっくり返っていることがある。それは3年間をどう過ごしたかに依存するわけだけだが、追い越した側の特別な意識であることは滅多にない。本人たちは周りに合わせながらただただ普通に取り組み過ごしてきただけなのだ。本当にそれだけのことが多い。

もちろん、そこに自覚が乗っかっていけばより上にも行けるし、環境補正が小さいところでも上に行くことができる、それはもちろんそう。

じゃあ環境補正が小さいときにどうするのか?そこで塾の出番ではなかろうか?学校以外の場に環境補正の力を求めるのである。他の学校の、特に超進学校の子の意識に触れ、その意識に合わせていくのだ。そういうことができる塾に行くことをオススメする。

どの選択にせよ、子どもが伸びていきよりよい人生をつかむもの。やりたいことによっては偏差値などで測る序列の意味なんて簡単に崩れるわけですが、あくまでも大学受験、上位校受験を目指す、という立場からお送りしました。願わくばみんながみんな、よい進路選択とその実現を願って止みません。


教務力って一口には言うけど

言葉の定義からしてわからん!というのがチラシとかホームページ見てる人の意見じゃないかと思います。なので、kawaiラボは大学受験ではこれをやるのが教務力、と定義して、勝手に押しつけていきましょう(笑)

端的には「生徒ひとりひとりをトータルプロデュースするのに必要な力」を教務力と考えます。それには何が必要か、解体していけば教務力が定義できるでしょう。

まずそもそもの科目の力。

科目の入試問題が旧帝大でも解けるなんていうのは当たり前(もちろん、たまには苦労するけど)だし、その問題を解説できるのも当たり前。これができたら授業できてるという程度なら相手じゃない。入試問題に至る前に、学校でやるような基礎理論の構築から授業できるほどの理解か?そして、それを目の前の生徒に合わせて話し、その子のハードルを越えられるようにできるのか?これができたらやっと、「教えるだけはできる」という程度です。専門科目がこの程度じゃkawaiラボじゃ戦力外。

少なくともkawaiラボから多く受ける学校の大学入試問題については形式などを把握し、生徒の解答能力や思考タイプから合格最低点をクリアできると期待できるかどうかを判別できるか?これは偏差値ランキングと模試を見合わせるんじゃない。生身の感覚で捉えられるかどうかである。偏差値が見合っていても絶対無理、となることもあるし、偏差値ほど合わせられないこともないこともある。そこまでできて初めて1科目を見れるというのがkawaiラボで科目を担当するということである。

そして、河井筆頭にこれが複数科目でできるのが専任であるということだ。理系なら数学と理科2つと英語は、文系なら英語国語と社会1科目は基本条件ですね。専門性の高まりによってこの辺の基準は変わることはあるでしょうが、街の塾をやるということはこれくらいの力はないと難しい。単科の専門性のマンパワーで押し切ることができないから尚更。

科目ができるだけでは地域の塾としてはダメで、学部、学科で何が学べるか、どういう就職があり得るのか、大学のその後まで見据えて進路探しから伴走できるかどうか。必要ならば大学の専門の違いを検討できるか?その手間を惜しまずかけられるか。ひとりひとりの人生を考えられなきゃ、塾のために受験させることになってしまうからこれはある意味で授業どうこうより重い命題ですよ。

更に受験日程を作れること。そんなの自分でやらせろよ、という意見があるのは承知の上ですけど、受験生が入試の偏差値と科目の一覧をめくって時間を浪費するのを本当にいいと思ってるの?絶対的なものでもない目安にしかならない偏差値でこれならいけるとか考えるのが社会勉強?僕はこの文化を学校なり予備校が労力を生徒に押しつけてるだけと断じているから、軸となる上位希望を基に滑り止めを日程とともに提案するのはラボの義務と考えている。はっきり言って、そんな紙の上のことだけで時間を浪費させるくらいなら、壁を越える力をつけることに時間を使わせようよ。

もちろん、これらを支えるためにはコミュニケーション能力も必要だし、それを支える観察力、僕は視えるとか言ってるけど、が必要。ライトなところから深層心理まで視えるとか。「私、そんなこと思ってる素振りありましたか?」って言われるくらいの眼力はある方がいい。でもコミュニケーション能力って大きな声で言っちゃうと上述のことができないパリピ的なタイプが大きな顔をしちゃう世の中だから、持ってる力を活かすための付加能力と思っているくらいがちょうどいい(笑)

寝ている間の「爆裂個人塾長会議」で話してたことのログを見ながら思ったことを連ねてみましたが、これがkawaiラボが教務力と信ずるところです。


よりによってそれ蹴るか?このバカチンが!

というバカチンは僕のことでして(笑)

さっき電車から「爆裂個人塾長座談会閲覧所」でしゃべってしみじみと思い出したあのこと。もうあれから6年くらい経つんですね。

僕は最初のベンチャーを2年で辞めて、当時研究部署を作るべく共同研究を立てようとしていた大学の研究室のポスドクになった。

予算も何もないところに(だから産学連携の研究費熱を上げていたのだけど)ポスドクすることにしちゃったからこれはまずい!となって29歳にしてバイト探し。

その境遇で「何できる?」となって塾で働き始めた。そのチョイスも大阪の南は人が少ないから戦力として大事にされそうだけ。で、最初に電話くれたところに即決。

うん、考えなさすぎ。

その生活を3年やってると、学者以上に教えることの方が適性あるのもわかってきたし、教育の方がずっと楽しかった。その教室はガンガン高校生が増えて、ついてくる子もいて。

で運命の3年目。

3年で常勤ポストにつけなかったら、自分は向いてないと諦めようと思ってた。そこにその大学の常勤の特任講師の話があった。でもやっぱりこの子たちを放って辞められない、そう思って蹴った。(もちろん、実家の家計とか体調という理由がなかったわけではないのだけど)

この話すると10人が10人、アホやなんやと言ってくれます(笑)でも、今の楽しさを考えても間違ってない、正解!と思ってるけど。

ちょっとしたkawaiラボの、それより前の物語でした。


理数の塾だからこそ国語教育を真剣に

僕は理数の人間です。誰がどうあってもそう答えるでしょう。数学や化学、物理のセンスを褒めてくれる人は多いです。

でも、僕自身の葛藤として、数学や化学、物理の知識や感性(あるかどうか知らんけどw)を自分のアドバンテージだとは思いますが、僕をこの境遇に連れてきてくれたのはこれじゃない。

じゃあ僕をここまで導いてくれたのは何なのか?

それは言語論理の力。世でいうところの国語力というやつですね。なんでもかんでも国語に押し付けるな、と怒りだす国語の先生がいるのはさておき。

大量の情報から必要な情報を抜き取り、その中でロジックを構築する。ネタが理数ならその構築にはもちろんその知識が必要だけど、その知識を繋ぐのは必ずしも数式だけでない。やはりロジックを紡ぐ言葉なのだ。その言葉の力が弱いことは単純に今の成績でなく、受験の、ひいては高等学問をやる上での障壁にしかならないのだ。

学理を修めるためにはもちろん数式などもあるが、究極的には言語によって伝えられる論理の掌握が必須なのだ。数学であっても科学であっても理由説明に全く言葉が介在しないなんてことはあり得ない。そして、新しい発見や問題解決を伝えるのはやはり言葉なのだ。自分の業績はもちろん式や図に現れるけど、説明は言葉に依るしかない。言葉の力が弱いということは、即、研究の一線からの脱落を意味するのだ。

更にこの10年近く主戦場にしてきた大学受験の観点から考える。理系科目において、言語論理の追跡がセンター数学の目指すところであり、国公立大の2次試験の数学はむしろその論理を紡ぐところを見られていると考えられる。2次試験の理科では長大なリード文から情報を汲み取り処理に繋げたり思考に移すことを見ていると考えてもいい。センター理科にもその兆候が見てとれる。ただの選抜だ、という意見は置いておいて、高等学問への接続と関門として大学受験を考えるならこういうことだろう。

こういうことを真剣に考えたとき、理系科目の専門的な素材で言語論理をやる前に育てておきたいのが国語力、特にジャンルで言えば評論文の読解。言語論理の結晶だろう。もちろん、より叙情的な文章にも素養がある方がいいだろうし、文化的な深みを伴う人物への成長に古典を活かすというのはあるだろう。ただ、今は論点がぼやけるので文学的素養の面については保留する。

理数教育における言語論理の力についてはこういう問題意識とともに過ごしてきた。そしてラボ開設の今、集う生徒たちの喫緊の課題としての国語、そして今後の言語論理の力の養成を図りたくて、国語の専門家として河井が信頼する方に来てもらった。点数はもちろん取れるようにしてあげたい。でもそれだけじゃない。本当の言語論理の力を持たせて社会で羽ばたかせられるように育てていきたい。

大学受験kawaiラボの国語教育、いや、言語論理教育はまだまだ始まりのとき。きっと言語論理と数理の力が合わせもつ、そういう生徒が社会で輝くことを目指していくことをここに宣言します。


子どもの受験はリベンジでなく

去年、Twitterでも紹介したのですが、こんなことを西大和学園の先生が仰ってたそうです。

「お母さんやお父さんの今までの人生におけるリベンジを、子どもの人生でしようとしないでください。ご自身のリベンジはご自身の人生で行ってください。子どもの受験は、子どもの人生です。子ども自身に闘わせてあげてください。」

家族もですし僕ら塾講師もですが、ついつい、本人のためにと思って考えてることが、価値観押し付けてるかも…?になってるときがありますね。

押しつけにならないように気をつけながらも、常に生徒たちの未来のために、を考え続けていきます。